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2009年6月23日火曜日

ミャンマー再遊記 (2)-12年ぶりのヤンゴン国際空港は・・・




 2009年6月14日(日) 
 ◆バンコク国際空港からタイ航空にてヤンゴン国際空港へ(日記より)

 12年前は、関空からいきなりヤンゴン空港に降り立ったので、その落差には非常に驚くとともに、強く印象づけられたのであったが、今回は日本からの直行便はとうの昔に廃線になっていたおかげで、バンコク経由でTG303便(タイ航空)を利用、1時間強の早朝フライトでヤンゴンにやってきた。
 今回はマイレージ利用のため、ミッションの他のメンバーとは別行動になっている。マイレージの利用制限のためであろう、午後のバンコク発便がとれないので仕方なく早朝の便でくることになった。

 エコノミー席に座ったが、なぜか回りはやたらにお坊さんとインド人ばかりだった。オレンジ色の衣で、眉毛そっているからタイ人仏教僧が大半だが、タイとビルマの間ではお坊さんは頻繁に移動しているようだ。インド人と思ったのは、もしかしたらインド系ミャンマー人のビジネスマンたちであったかもしれない。
 バンコクからヤンゴンに入るとワンクッションあるので、カルチャーショック(?)は小さなものになる。

 ヤンゴン到着はタイ時間の午前9時(日本時間は11時)過ぎ、ミャンマーはタイよりもさらに30分早い時間帯なので、8時30分過ぎということになる。つまり日本との時差は2時間半。こういった微妙な差異も現地にいってみないとわからないものである。
 
 とにかく驚いたのは、空港ターミナルがまったく近代化された新しいものになっていることだ!
 空港の写真は絶対に撮影するなと、きつくいわれていたので、無用なトラブルを避けるために撮影はしていないが、新しいプノンペン空港(カンボジア)、ヴィエンチャン空港(ラオス)並みに整備されている。
 12年前の「木造平屋建て」のイメージを持っていた私には、いい意味での驚き以外の何者でもない。しかもイミグレーションはすべて女性職員になり、かなりスムーズに入国手続きが完了した。パソコンも装備されており、1997年とはまったく異なる状況になっていたのだ。国際的な玄関口である国際空港がキレイになったことは、たいへん喜ばしい。
 あとで聞いたところによると、新しいターミナルは2007年にオープン、最初は日本のODA援助で建設していたが、援助が凍結されたあとは自力で建設完了したという。ミャンマーもやるねー、と思わされたものである。
 なお、旧ターミナルには、マンダレーに移動する際、国内線のターミナルとしてはまだ現役であったことを知る。懐かしい思いをさせられたが、とにかく古色蒼然、失礼な話だが、ひとことでいえば後進国のものである・・・

 空港からホテルまではタクシーで移動することになるが、だいたいの相場はわかっているので、US$7でOKし、さっそくタクシーに乗る。ミャンマーは英国の植民地であったのにかかわらず、道路は右側通行である。にもかかわらず、タクシーだけでなく走っているクルマはほとんどが右ハンドルの日本車の中古だ(写真参照)。
 日本円はほとんど流通していないので、あらかじめ成田空港で1ドル札を大量に仕入れてからミャンマーにやってきた。米ドルが幅を利かせているのはベトナムと同じである。経済制裁されていても貿易の決済通貨は米ドル、これが国際経済の現実なんですな。
 ちなみに実勢レートは、US$1が1,000 kyat(チャット)である。また触れることもあると思うが、公定の為替レートと実勢レートが200倍ほども違い(*公定レートは US$1が 6 kyat)、歪みが大きい。ただし日常使うのは実勢レートなので問題はない。

 運転手はロンジー姿、ロンジーとはミャンマー独自の、筒状の巻スカートのことで、男性の場合はくるりと巻いて腰の前でしばる。東南アジアではミャンマー人しか着なくなっている。
 もう一人ミャンマー人のロンジー姿の同乗者が助手席に乗り込んできたが、東南アジアでは同乗者が何事もなく乗り込んでくることはよくあることなので、気にすることはない。
 その同乗者がやたらと英語で話しかけてくるので適当に会話するが、「景気が悪いねー」といいながらもニコニコしているのは、さすがミャンマー人である。「微笑みの国」というキャッチフレーズで有名になったタイ人よりも、ミャンマー人の方が微笑み度は高いような気がする。

 空港から市内までは約30分、景色は以前と同じだが、気持ち的に高層ビルが増えたような気がする。また、商品宣伝の看板がえらく増えたような気もする。
 しかしながら、クルマから見る限りまだまだロンジー姿の男性が圧倒的多数である。ジーパン姿もいるが思ったより少ない。市内散歩したらまた別の感想をもつだろう(*市内でもロンジー比率は9割以上にのぼることが、街歩きをしてみてわかった)。
 ヤンゴン市内でも、2008年春のサイクロン・ナルギスの被害が甚大であったことは報道で見ていたが、ヤンゴン市内ではもうその痕跡はほとんどないようであった(*のちほど、倒壊した巨木の捨て場を見ることができた)。

 朝の9時過ぎでもう炎天下ではあるが、托鉢するお坊さんを車中から多数見た。バンコクより托鉢の時間帯が長いのだろうか?炎天下を無帽、しかも裸足(!)で歩くのは戒律によるものとはいえ、かなりたいへんそうだ。
 9時半にはホテルに到着、シャングリラ系列の Traders Hotel Yangon は、さすが高級ホテルである。ミャンマーにいるという感じではない。従業員もよく教育されており、安心して滞在できそうだ。このホテルは12年前にはなかった。この12年間、停滞していたと言われていたわりには意外と発展していた。

 しかも朝早いからか(事前に旅行代理店の現地事務所から早く着くことは連絡してもらってあった)、実にいい部屋を割り当ててもらった!スーレー・パゴダを部屋から見れるナイスビューである!(*これを現地では「パゴダ・ビュー」(pagoda view)というらしい)。ここに二日間滞在できるのは実にラッキーである。
 
 昼食を兼ねて、12時前にホテルをでて市内を歩き回ってみることにした。前回12年前も市内は歩いているのだが、あまり記憶に残っていないようで、見るものすべてが興味深い。
 スーレーパゴダ前(*写真にある黄金のパゴダ。ヤンゴン市内のランドマークである)では、道案内したがる現地人が現れてやたら英語で話しかけてきて閉口する。適当にあしらって、巻くこととする。
 歩いていると今度はインド系のミャンマー人から声をかけられた。こいつも適当にいなして巻こうと思ったのだが、話していると日本語がえらく流暢なので、ミャンマー料理店「203」に案内してもらうこととした。
 この店は有名店らしいが、路地裏で看板も出してないので見つけづらい。まあそういう意味ではガイドとして働いてもらうこととしよう。なんせまったく地理がわからないのだから(*ビルマ語は日本語と語順が同じなので、ミャンマー人にとって日本語は理解しやすいらしい)

 すごく狭い店構えなので二階にいく。私は魚のカレー、彼は小エビのカレーを注文、二人分でUS$4弱であった。USドルベースでみたヤンゴンの物価は正直言ってバンコクと比べて安くない。バンコクならフードコートで、一人US$1~1.5で納まるはずである。
 まあどうせただ働きのつもりはないのだろう、口利き料とるのだろうと知りつつ、勧められるままロンジーを買いにアウンサン・ボージョー・マーケットへ。戦前からあるという市場(いちば)である。雨期で高温多湿のミャンマーでは、ジーパンではあまりにも暑すぎるのでロンジーは一着くらいほしいものだ。
 結局、グリーンのチェック柄のロンジー既製品を、US$8で購入。高いのか安いのか相場をしらないのでよくわからない。どうせ日本では使用しないのだから、安くいので使い捨てでかまわないのだが・・(*その後、一回手洗いしてみたが色落ちはまったくなかったので、粗悪品ではなさそうだった。しかし値段はもう少し安いかもしれない)。
 ミャンマー人の彼がいうには、最近ミャンマーではサッカーのプロリーグができて、日曜日の午後4時からヤンゴン中央駅前のスタジアムで試合があるから一緒に行こう、という。しかし、これ以上一緒に行動していては、どこでまたぼられるかもわからないので、適当なところで別れることとにしてホテルに戻る。

 ホテルに戻ってプールで30分くらい泳いだらくたびれた。
 部屋に戻ってインターネット、そうこうしているうちに夕立となって大雨(=シャワー)。
 雨季はバンコクもヤンゴンも変わりはない・・・

 そしてこの日から1週間、私は最初から最後までロンジーで過ごすことにした。「郷に入りては郷に従え」、とにかく快適、の一語に尽きるのだ。Mr.ロンジーの1週間である。

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 以上が、6月14日(日)のヤンゴン到着その日の日記を加筆修正したものである。
 新鮮な驚きを記録しておきたいので、またライブ感を出したいので、あえて日記を再録することとした。

 しかし、いろいろ話をきいて知識が増すとともに、いろんなことがわかってきた。

 経済発展は、実のところ経済格差の表れともいえるのだ。ヤンゴンの人口の数パーセントの富裕層むけのビジネスと、一般庶民レベルの生活レベルの大きな格差が存在し、格差が以前より拡大しているらしい。
 しかし、餓死者はでない国ではある。2008年のサイクロン・ナルギスの大被害でデルタ地帯の穀倉地帯が大打撃を受けたにもかかわらず、その年のコメの収穫は豊作であったという事実もあり、主食のコメと油が安価で供給さえれている限り、民衆暴動にはつながらない、という・・・・
 詳しくはまた追い追い触れてゆくこととしたい。


ミャンマー再遊記(3)に続く



<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

(2015年10月4日 項目新設)





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