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2009年5月31日日曜日

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド




NHKスペシャルで「インドの衝撃」という番組をやっている。過去の放送内容が文藝春秋社からは単行本としての2冊刊行されている。現在のシリーズもまた充実した内容であり、見るだけでもたいへん勉強になる。映像のもつ力といえよう。

 本日31日の放送内容は、今年5月行われた総選挙についてである。結果としては与党である国民会議派の続投となったので、ビジネスマンの私としては安心しているが、選挙権をもつものが7億人もいるという「世界最大の民主主義国家」インド最大のウッタル・プラデーシュ州を舞台に、4つのカーストの下に位置する「ダリット」(dalit:undercaste)を政治的基盤にした大衆社会党と国民会議派との一騎打ちの様子を密着取材した、たいへん興味深い内容であった。

 「ダリット」からは、インドの新仏教運動を興したアンベードカル博士が生まれている。

 放送では博士についてふれているが、新仏教について言及しないのは片手落ちであるといわざるをえない。しかも博士の後継者が日本人の僧侶であることは、日本人なら知っておくべきだ。『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々木秀嶺-』(小林三旅、今村守之=構成、アスペクト、2008)という本は近年にない熱い内容だ。


 個人的には、インドは1995年にブッダロードとチベット族居住地帯であるラダックを旅したあと、12年ぶりとなる2007年にはビジネス・ミッションに加わって、デリー(再訪)と近郊のグルガオン、南部の高原にあるIT産業の中心都市バンガロールを訪問したが、いまだボンベイ(現ムンバイ)もカルカッタ(現コルコタ)も訪問できていない。

 とくにカルカッタは、明治以来の日本とも密接な関係にあるベンガル地方の中心都市である。タゴールと岡倉天心に始り、中村屋カリーのボース、インド独立戦争のチャンドラ・ボース、経済学者アマルティヤ・センにつながる流れ。ベンガル地方訪問は私にとっては今後の懸案課題として残っている。さて、いつ実現することか?


 さて、カルカッタといえばスラム、スラムといえばマザー・テレサである。マザー・テレサこそ、20世紀後半のインドで「フランチェスコ精神」を貫いた人であったといえる。

 アンベードカル博士の新仏教でも、ヒンドゥー教でも、ビジネス関連でもなく、マザー・テレサを通じてインドをみることも重要だろう。


 数年前に日本で公開された、オリヴィア・ハッセイ主演の映画 『マザー・テレサ』をみれば、マザー・テレサが不退転の意思で人生に臨み、明るく快活で、精神的に実にタフな人であったことがわかる。アッシジのフランチェスコそのものの、無私の精神に貫かれた、本当の意味のリーダーであったことも理解することができる。

 ただフランチェスコと大きく異なるのは、観想生活にひきこもることはせず、死ぬまで第一線で奉仕の人生を貫いたことにある。



 だいぶ前になるが、マザー・テレサのドキュメンタリーのビデオ『Mother Teresa : A Film by Ann and Jeanette Petrie with a Narration by Richard Attenborough』(1986年)を見てたいへん感銘を受けたので、その翌日雑談の際に会社でその話をしたら、どうやら場違いな話をしてしまったようで、その場ではやや敬遠されてしまった、という苦い経験がある。話題によっては話す相手を選ばないといけない、と深く胸に刻み込んだ。


 経済成長により都市と農村の格差が拡大し、人口の6割が貧困層になっているというインド。農村に居住するバラモンですら窮乏化しているという現実がある。

 本日の放送では触れられていなかったが、『ITとカースト-インド・成長の秘密と苦悩-』(伊藤洋一、日本経済新聞出版社、2007)によれば、能力主義を貫くIT産業発展のおかげで、少なくともIT産業内部ではカーストの壁も崩れつつあるらしい。

 とはいえ、中間層のあいだではビジネス社会における過度のストレスにさらされ、精神的な貧困も進んでいるということも聞く。『インドの時代-豊かさと苦悩の幕開け-』(中島岳志、新潮社、2006)を読むと、インドは日本化しているのか?という感想ももたざるを得ないほどだ。


 ビジネスを通じた貧困解消には限界があることは、中国をみれば明らかだ。貧富の差が極端に拡大しつつある中国は、いまや社会矛盾のかたまりと化している。

 たとえ、経済発展してもその成果が貧困層に再配分されるメカニズムが十分に機能しないと、とてもサステイナブルな経済発展とはならないであろう。

 世界銀行副総裁を務めた西水美恵子さんの著書、『国をつくるという仕事』(英治出版、2009)では、何よりもリーダーシップの重要性が強調されている。「・・貧困解消への道は、「何をなすべきか」ではなく、「すべきことをどう捉えるか」に始まると。その違いが人と組織を動かし、地域社会を変え、国家や地球さえをも変える力を持つのだと」(P.8)。


 経済的な貧しさならある程度まで解決可能かも知れない。

 しかし、マザー・テレサがいうように、先進国では(インドも一部ではそうなりつつある)、「精神の貧困」が大きな問題として拡大している。経済的な貧困、精神的な貧困、この二つの解決のためにはマザー・テレサのようなプローチも欠かせないのである。

 もちろん、マザー・テレサのように生きることは、大半の人にとっては、もちろん私も含めて、不可能である。だがそういう生き方もあるのだということを、せめて心の中だけにでも留めておきたいのである。

(つづく)

                        



<アッシジのフランチェスコ 総目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 


PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を一枚あらたに挿入した。 (2014年8月21日 記す)
PS2 あらたに<総目次>を挿入した。(2022年2月20日 記す)


PS2 マザー・テレサが列聖される(2016年9月4日)

本日(2016年9月4日)、マザー・テレサがバチカンで公式に列聖された。カトリック世界では最高の「聖者」となったのである。1997年9月5日の死去から、わずか19年というのはスピード展開である。二度の奇跡が当局に公式に認められたためだ。 (2016年9月4日 記す)

マザー・テレザ聖人に: 教皇フランシスコがマザー-テレサ列聖に必要な奇跡を承認(バチカン放送局、2016年4月16日)


<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!
・・「天使に会うためなら悪魔とも取引しろ(To get to the Angels, deal with the Devil)」というマザーテレサのプリンシプル。さすがカトリックならでは

書評 『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺-』(小林三旅、アスペクト、2008)-こんなすごい日本人がこの地球上にいるのだ!

書評 『国をつくるという仕事』(西水美恵子、英治出版、2009)-真のリーダーシップとは何かを教えてくれる本

(2014年8月21日 情報)   


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2009年5月30日土曜日

アッシジのフランチェスコ (3)  リリアーナ・カヴァーニによる




リリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ(Francesco)』(1989年)を先日やっと見ることができた。これで主要なフランチェスコ映画をすべて見たことになる。

 主役のフランチェスコ役がミッキー・ロークというのは、実際のフランチェスコが小柄だったことを知っているので、DVDを見る前も見ている最中もミスキャストではないか、という感じをずっと抱きながら最後まで見たのだが、フランチェスコの生涯を、キアーラも含めた弟子たちが回想するという形をとったこの映画は、かなり鮮烈な印象の強い、宗教性の濃厚な作品であった。

 カヴァーニといえば、ナチス収容所所長と収容されていたユダヤ人少女との倒錯的愛を描いた『愛の嵐』(The Night Porter:1973年)で有名な女流監督である。女性哲学者ルー・サロメとニーチェとの関係を描いた『善悪の彼岸』(1977年)、谷崎潤一郎原作の『卍 The Berlin Affairs』(1985年)チベットの聖者伝『ミラレパ』(1973年)は、私自身すでに見ている。

 ヴィスコンティ監督の弟子であるカヴァーニは、オペラ演出も手掛けており、師と同じくドイツものが多い。同じくヴィスコンティの弟子であるゼッフィレッリもオペラ演出家であるが、ゼッフェレッリの作品のもつほがらかさとは正反対の、耽美的な映像世界を作り出している。

 ゼッフィレッリは、シェイクスピア作品の映画化にみられるように、むしろ英国への親近感のほうが強いと思われる。フィレンツェ出身であることが、そうしているのであろう。『ムッソリーニとお茶を』(1999年)はまさに英国愛にあふれた作品である。

 カヴァーニの『フランチェスコ』は『愛の嵐』と同様、やや陰鬱な影をもった、深みのある映像に終始している。

 キャスティングについては、ミッキー・ローク(あくまでも当時の!)の醸し出すセクシュアルでかつセンシュアルな存在が、聖人といわれているフランチェスコも、実は生身の肉体をもつ一人の男でったことを忘れさせない、という意味だったのか、などと考えている。男と女という実存抜きに人生を、宗教を語ることはできない。


 そんなことを考えていたときに、イタリアの中世史家キアーラ・フルゴーニによる、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(三森のぞみ訳、白水社、2004、原著:Vita di un uomo: Francesco d'Assisi, Chiara Frugoni, 1995)の訳者解説をパラパラと読んでいたら、カヴァーニの映画のフランチェスコは、フルゴーニが描いたフランチェスコにかなり近い、といっているのが目にとまった。そこでこの本を通して読んでみたのだが、いままで『ブラザーサン シスタームーン』で頭の中に描いていたフランチェスコとは大いに異なるフランチェスコ像を初めて知ることができた。

 裕福な家庭の出身ながらすべてと訣別し、あらたな道に踏み出すことを決断した一人の青年フランチェスコ。

 人々の無理解と苦難を味わいながらも、自ら信じる道を切り開いていった人間フランチェスコ。
 世の中に認められ、弟子が増えていくにつれて直面した「組織」という問題に悩むフランチェスコ。
 いったん出来上がった組織は教団として制度化する方向へと動き出し、組織のもつ論理で存続発展しようとするために、そこに違和感を感じ、疎外感を感じ、最終的に居場所を見つけられなくなってしまうフランチェスコ。
 自分のいっていることが本当には理解されていないのではないか、という深い絶望の中に生きる一人の人間フランチェスコ。
 集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び・・・

 肉体をもつ人間であるからこそ、人間存在につきまとう悩み、苦しみ、希望、絶望、といったもろもろが、普通の人間であるわれわれにも感じることができる・・・

 フランチェスコは一歩踏み出した人である、種をまいた人である。だが決して成功者ではない、むしろ本人の自意識においては失敗者だったのだろう。

 こういう意味で、リリアーナ・カヴァーニとキアーラ・フルゴーニという二人のイタリア人女性が、フランチェスコをきわめて近い視線で見ていることに気づく。

 聖女キアーラ(=聖女クララ)と同じ名前をもつフルゴーニは、フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守っている。文献資料と図像研究をあわせた歴史記述は説得力がある。ジオットについても新しい見方を教えられた。

 歴史家のキアーラ・フルゴーニはこう書いている。 

福音の教えに従うフランチェスコは男女の扱いには相違を認めなかった。・・(中略)・・ フランチェスコによれば、神は、明白な功または罪をもつひとりの男、あるいは女を創ったのではなく、ただ人間を創ったのであった。男であるか、女であるかは二次的な特徴にすぎなかった。(P133-134)

 ゼッフイレッリ監督は、『ゼッフィレッリ自伝』(創元ライブラリー、1998)の中で、フランチェスコのことを、こういっている。

聖フランチェスコはイタリアでもとくに気難しい聖人として知られている。映画が描いた彼の人生の前半では、彼は自然と調和した素朴で聖なる生活を送ったが、年を取ってからは複雑で重い性格に変わった。老年期には神秘主義に傾き、妥協がなく気難しかった。瞑想に生き、超世俗的な生活を送り、厳しく近寄りがたい存在になったのである。この晩年の聖フランチェスコの精神を思えば、彼は人が来るのを好まなかったのだ。(自伝 P.456-7)。

 同じく男性のデンマークの詩人ヨルゲンセンは1907年に出版したフランチェスコ伝では、vita contemplativa(観想的生) と vita activa(活動的生) の間で揺れ動くフランチェスコを描いている。『アシジの聖フランシスコ』(永野藤夫訳、平凡社ライブラリー、1997)は、戦前の日本でもよく読まれたという。

 思想家の林達夫は久野収を聞き手にした対談集『思想のドラマトゥルギー』(平凡社選書、1974)では、第5章「聖フランチェスコ周辺」で、戦前1915年以降の日本でフランチェスコ・ブーム?があったことを回想して、ヨルゲンセンの本についても触れている。

 それぞれのフランチェスコ理解がある。

 男の実存と、女の実存は、同じ人間であるといっても違いがあるのは当然だ。

 同じ一人の人間をみるまなざしにも、さまざまなものがあっておかしくない。一人一人がフランチェスコに何を重ね合わせて見るのか・・・「自分が見たいものを見る」、「自分が見たいものしか見ない」、それはすべての人にとって否定できない事実である。

 もちろん私も例外でなく。


(つづく)


<朗報!>

ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD フランチェスコ-ノーカット完全版-、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)



     
<付録> 

書評再録 『アッシジのフランチェスコ』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)-フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守った、女性中世史家によるフランチェスコ伝


 イタリアの中世史家キアーラ・フルゴーニによる、アッシジのフランチェスコ伝。

 日本ではフランチェスコというと、フランコ・ゼッフェレッリ監督による映画 『ブラザーサン・シスタームーン』で知られているが、この映画はフランチェスコの前半生しか描いていない。

 訳者解説で触れられているが、リリアーナ・カヴァーニ監督による、ミッキー・ローク主演の映画 『フランチェスコ』は、中世史家フルゴーニが描いたフランチェスコにかなり近い、といっているのが目にとまった。

 そこでこの本を通して読んでみたのだが、いままで 『ブラザーサン シスタームーン』 で頭の中に描いていたフランチェスコとは大いに異なるフランチェスコ像を初めて知ることができた。


・裕福な家庭の出身ながらすべてと訣別し、あらたな道に踏み出すことを決断した一人の青年
・人々の無理解と苦難を味わいながらも、自ら信じる道を切り開いていった人間
・世の中に認められ、弟子が増えていくにつれて直面した「組織」という問題に悩む青年
・いったん出来上がった組織は教団として制度化する方向へと動き出し、組織のもつ論理で存続発展しようとするために、そこに違和感を感じ、疎外感を感じ、最終的に居場所を見つけられなくなってしまうひとりの人間
・自分のいっていることが本当には理解されていないのではないか、という深い絶望の中に生きる一人の人間
・集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び
・肉体をもつ人間であるからこそ、人間存在につきまとう悩み、苦しみ、希望、絶望、といったもろもろが、普通の人間であるわれわれにも感じることができる・・・


 フランチェスコは一歩踏み出した人である、種をまいた人である。だが決して成功者ではない、むしろ本人の自意識においては失敗者だったのだろう。

 こういう意味で、リリアーナ・カヴァーニとキアーラ・フルゴーニという二人のイタリア人女性が、フランチェスコをきわめて近い視線で見ていることに気づく。

 フランチェスコの生き方に感化されて、世俗の生活を捨てた聖女キアーラ(=聖女クララ)と同じ名前をもった歴史家フルゴーニは、フランチェスコに寄り添い、慈しみのまなざしで見守っている。

 文献資料と図像研究をあわせた歴史記述は説得力がある。画家ジオットについても新しい見方を教えられた。

 映画 『ブラザーサン・シスタームーン』でフランチェスコに興味をもった人はぜひ本書を読んでほしいと思う。

 より深く、フランチェスコを理解できるようになると思う。


(注) amazon に「左党犬」のペンネームで執筆投稿した「レビュー」((2009年7月9日)を再録した。(2014年8月21日 記す)









PS 読みやすくするために改行を行い、あらたに<付録>を付け加えた。 (2014年8月21日 記す)。

PS2 あらたに<総目次>を挿入した。(2022年2月20日 記す)



<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
・・リリアーナ・カヴァーニは『ミラレパ』という映画も撮っている

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・『失敗者の自叙伝』を書いているヴォーリズ

(2014年8月21日 情報追加)
       


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2009年5月29日金曜日

アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」

(13世紀の画家ジオットによる「小鳥に説教する聖フランチェスコ」 Wikipediaより) 



             
 聖フランチェスコは自然を賛美し、小鳥たちに説教した、などのエピソードから、教皇ヨハネ・パウロ2世が正式に「環境保護の聖者」として認定したという。カトリック教会もフランチェスコの現代的意義の一つをそこに見出しているようだ。

 フランチェスコ晩年の通称「太陽の歌」(正確には、「被造物の賛歌」 Cantico delle Creature)では、神が創造した被造物(creature)として、太陽も月も、その他水も火も、すべての自然物を兄弟姉妹として同等に扱っている。ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』という映画タイトルはこの「太陽の歌」から採られている。

 こころみに Google でイタリア語の Cantico delle Creature と検索してみるとよい。YouTube で「太陽の歌」の映像と音声を聴くことができる。

 一般にダンテがトスカーナ方言をもとにイタリア語文章の基礎を創ったといわれるが、それより以前に聖フランチェスコは教会で正式に使用されたラテン語ではなく、一般民衆向けの説教で使っていたイタリア語で詩作していることは意味が大きい。イタリア語による詩歌集の一番最初にでてくるのが聖フランチェスコの「太陽の歌」であることからもそれがわかる。つまりイタリア人ならみな知っている、ということだ。

 ところで、アッシジのフランチェスコについて書く前に、私のブログでは偶然のことながら、松尾芭蕉の『奥の細道』を取り上げていた

 意図して取り上げたわけではないのだが、芭蕉も「太陽と月」を取り上げていた、なんという偶然か!

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり・・・」という冒頭の文章は、日本語だと、月日イコール歳月なのでこれまで何も考えていなかったのだが、さきに紹介したSam Hamil による英訳では、「The Moon and Sun are eternal travelers. Even the years wander on.・・・」とあって、「月日」というのは、文字どおりに解釈して、物理的な月と太陽をさしているのか、とあらためて気がつかされた。

 そうか、月日というのは、ブラザーサン・シスタームーンと同じことをさしていっているではないか。順番は逆になっているとはいえ・・・


 イタリア語では太陽は男性名詞、月は女性名詞であり、現代イタリア語ではそれぞれ frate sole, sorella luna (フラーテ・ソーレ、ソレッラ・ルーナ)となる。フランス語も、スペイン語もラテン語系の言語ではみな太陽は男性、月は女性である。

 ちなみにフランチェスコは「死」のことを「姉妹である死」、といっているが、現代イタリア語では sorella morte (ソレッラ・モールテ)と、柔らかく包み込むようなやさしさをもった音であることは、「死」のとらえ方として重要かもしれない。英語で sister death というと、響きがあまりよくない。

 日本語には文法上の性であるジェンダーは存在しないが、記紀神話では太陽神である天照大神(アマテラス・オオミカミ)は女性(!)であるのに対し、ツクヨミといわれる月の神は一般に男性とされているのは面白い。「原始、女性は太陽であった」と宣言した平塚らいてふではないが、発想が正反対である。

 フランチェスコと芭蕉の共通点は、太陽も月も「擬人化」していることだ。フランチェスコは兄弟と姉妹に、芭蕉は旅人(性別不詳)になぞらえている。さらに芭蕉は、月も太陽も「永遠の旅人」、つまり循環する時間の中にあることをいっている。

 しかしながら両者のあいだでは、自然に対する見方がまったく異なることに気がつかされる。

 フランチェスコの歌では、太陽も月もその他自然と同じく、あくまでも神の「被造物」であるのに対し、芭蕉にあっては、太陽も月も自分とは異なる存在であって、しかも人間と同列の存在とはみていない。芭蕉にあっては、そもそも「究極の存在者」をどう想定しているのか不明である・・・

 こんなことを考えていくと、ひとくちにエコロジー、自然環境保護といっても、洋の東西では発想そのものが大きく異なることがわかってくる。

 神なき現在とはいえ、やはり西洋人の思考の深層には神が存在するのであり、つまり「隠れた神」の存在は無視できない。
  
 したがって、エコロジーに対する考え方も実は大きく異なるのではないか、と考えたほうがよさそうだ。


 このブログでもたびたび神社の森の話を書いているが、日本人はあくまでも神(々)が降りてくる「依りしろ」として森を捉えて神社の森を守ってきたのであり、森が神の被造物であるとは捉えてはいない。

 環境保護団体のグリーンピースや、シーシェパードにみられるように、イデオロギーとして過激化しがちなの環境保護とは大きく異なる。

 違和感を感じるのは、ここらへんに原因があるのではないか、という気がしてきた。そもそもシェパード(shepherd)というのは羊飼いのことであり、もともとはキリスト教的色彩の濃厚な比喩であることに注意しておきたい。「海の羊飼い」は、「海の羊であるクジラ」を襲う「日本の捕鯨船という狼」を絶対に許すわけにはいかないのだ、こういうロジックだろうか。

 まあ、結果よければすべてよし、最終的に環境が保護されればいいのではあるが・・・


 とはいえ、「環境保護の聖者」としての聖フランチェスコというのは、なんかあまり好きにはなれないのは考えすぎであろうか?

 何事であれ、現代の視点から、過剰な意味づけをしすぎるのは控えたほうがよいのではないだろうか? 

 かっかせず、ほがらかにいきたいものだ。

(つづく)





<アッシジのフランチェスコ 総目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 


<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)


PS 読みやすくするために改行を増やした。 (2014年8月21日 記す)

PS2 あらたに<総目次>と「小鳥に説教するフランチェスコ」の画像を挿入した(2022年2月20日 記す)



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2009年5月28日木曜日

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる



13世紀イタリアが生んだ聖フランチェスコについては、フランコ・ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン(Brother Sun, Sister Moon)』(1972年)でよく知られている。

 イタリア中部ウンブリア地方のみずみずしく美しい自然、いっさいの所有からの自由を求める「清貧」。

 オペラ演出家でもあるゼッフェレッリの美しい映像は、ドノヴァンのフォーク調の穏やかな旋律の主題歌ともあいまって、見るたびに心を洗われてきた。ラストシーンは何度もDVDで繰り返してみているほどだ。

 映画制作当時のヒッピームーブメントの影響もあり、シンプルライフ志向のさきがけのような映画である。

 「カトリック青春映画」と銘打たれていたこともあるが、聖者伝というよりは青春映画といったほうが適切だろう。同じ監督によるオリヴィア・ハッセイ主演の 『ロミオとジュリエット』 (1968年)とともに忘れがたい青春映画の名作である。


一カ月かけてイタリア半島をつま先の先端まで回る

 1991年にイタリアを北はヴェネツィアから南はシチリアまで一か月かけて鉄道で回った私は、当然のことながらアッシジも訪れている。大学院留学中の夏休みを利用してのはじめてのヨーロッパの旅、Eurail Pass と Youth Hostel 会員証をフルに活用した旅であった。

 ニューヨークから、ロンドン経由ボンベイ行きの格安のエア・インディアを使ってロンドンへ。英国から大陸へはフェリーでフランスのカレーへ。オランダ、ドイツはさっと通り抜け、ウィーンから夜行列車でヴェネツィアへ抜けたところからイタリアの旅が始まる。

 ゲーテではないが、イタリアにすっかり魅了されてしまったのだ。結局イタリア全土を回ることにしたのは成功だったと思う。人生も旅も予定のコースを外れて寄り道を歩くのは楽しいことだ。

 アメリカで購入して持参したガイドブック 『Let's Go Europe』 はアメリカの大学生が取材して作ったもので、たいへん役にたつスグレものであった。その当時の『地球の歩き方』は、とくにイタリア編は、ニューヨークの紀伊国屋書店で立ち読みしたが、観察力の乏しい旅行者の投稿情報を載せすぎで、しかも内容は情緒的な記事が多くて実用性に乏しく、まるで役に立たない代物であった。もっともその当時イタリアは現在ほどの人気はなく、しかも男性でイタリアに関心があるものなどきわめて少なかったのも事実だが。

 また、現在では定番のガイドブック 『Lonely Planet』 も当時はそれほど普及していなかった。その当時はどちらかといって、バックパッカー向けの辺境地帯のガイドブックが中心だったように思う。

 パリのセーヌ川にかかるミラボー橋で 『Let's Go Europe』を読みふけっていたら、アメリカ人の学生から声をかけられたことがあったのを思い出した。同じガイドブックをつかっていることに郷愁を感じたのだろうか?

 当時はよく「アメリカ人か?」とかいわれたものだ。アメリカ人というのは人種概念ではないから、英語をしゃべっていればアジア系だろうがアメリカ人扱いされることもある。

 なお、『Let's Go Europe』 は、amazonをみたら、現在でも改訂版がでているようだ。学生の身分でBudget Travel するなら、いいガイドブックである。日本では入手しにくいだろうが、アメリカの大学 Bookstore なら置いてあるはずだ。もちろん amazon でも購入可能。



■北イタリアではユースホステル会員証に使いでがある

 さて、イタリアの旅はヴェネツィアから始まったのだが、予約なしでヴェネツィアに宿泊するのは現在でもまったく不可能である。そこで、列車で30分ほど西に行ったパドヴァのユースホステルに宿泊することにした。

 パドヴァはヴェネツィア共和国にとって後背地にある知的センターであったことは、塩野七生の読者なら知っているかもしれない。パドヴァ大学には、1453年のコンスタンティノープル陥落でビザンツ帝国の学者が大量に亡命してきており、その後も「それでも地球はまわる」といったガリレイや、血液循環で有名なウィリアム・ハーヴェイなどがおり、また世界でもっとも古い円系劇場型の解剖学教室が残っていて素晴らしい。

 この時はこういった歴史的遺産を見ることができなかったが、2006年に15年ぶりに再訪した際に、パドヴァ大学内部だけでなく、ゲーテが訪れた植物園、ジオットの壁画で有名なスクロヴェーニ礼拝堂も見ることができた。15年目にして懸案事項が解決されたわけである。

 Youth Hostel 会員証は、北イタリアでは非常に使いでがあったことを記しておく。

 イタリアではかなり古くて趣のある建築を買い取ってユースホステルとして利用しているものも少なからずある。パドヴァのユースもそうであった。早朝、霧が立ち込める中、先着順でチェックインを待っていたことを思い出した。円形の筒のようなくすんだ色をした建物であったように記憶している。

 フィレンツェでも、シエナだったか覚えていないが、海岸沿いの小さな町で、壁にフレスコ画が残る御屋敷に泊まれたのも、ユース会員権のおかげであった。



アッシジは世俗的な傾向の強いイタリアのなかでは例外的な存在

 えらく遠回りしてきたが、そろそろアッシジに行かないといけない。

  『Let's Go Europe』には、アッシジは世俗的な傾向の強いイタリアのなかでは例外的で、女の子も男性の視線を気にすることなく安心して過ごせる町だと書かれていたが、まさにそのとおりだった。

 イタリアは全般的に男は男らしさを、女は女らしさを過度に強調して見せる傾向があり、地中海世界というか、ラテン的な特性が全面にでている国である。ファッション雑誌の『LEON』なんか持ち出さなくても周知のとおりだ。

 そんななかにあって、アッシジは、かなり趣の異なる町なのである。

 小高い丘の上にある町で、石畳の坂道が多いのはイタリア共通だが(・・マラリアを避けるために丘の上に町が作られたとあったのを読んだことがある。イタリアのスーパーマケットでは日本の蚊取り線香を売っていた)、有名な「宗教都市」でありながら陰鬱なところのまったくない、修道士も含めほがらかな雰囲気に満ちた町であった。フランチェスコ教会にある、ジオットのフレスコ画ともども強い印象に残っている。

 その後の大地震でフレスコ画も損傷を受けたというニュースを聞いたが、修復は完了したようで安心している。先日も大きな地震があり被害も大きかったようだが、シチリアにストロンボリという活火山もあるイタリアは地震国である。ゼッフィレッリ監督も、撮影中18回も地震に見舞われたのだ!と自伝に書いている

 アッシジ(Assisi)は実際の発音はアッスィージに近いので若干異なるのだが、日本人が日本語でアッシジと発音するとき、音が共通しているので、何かしら薬師寺(やくしじ)を連想させるのも、日本人にはしたしみやすいのかもしれない。


フランコ・ゼッフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)

 『ブラザーサン・シスタームーン』が、時のローマ教皇インノケンティウス3世に布教を認められるシーンをハイライトとして終わるが、これは実はきわめて重要なシーンなのである。

(『ブラザーサン シスタームーン』のシーンから)

「組織」としてのローマカトリック教会を修復するために、その当時の時代状況のなかで異端すれすれであったフランチェスコを、教会内部に抱き込むことで一般信徒たちの離反を防いだ、という組織運営上の大決断であったのだ。

 このことは、中世史家である堀米庸三の名著 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(中公新書、1964)が、教皇とフランチェスコ会見を「一つの世界史的な出会い」(P.181)と表現している。高校時代に読んでから約20数年ぶりに読み返して確認した。この本は残念ながら絶版。(*)

(*) その後、2013年に中公文庫から復刊された。ブログ記事で書評を書いているので、上記のリンク先をご覧いただきたい。 (2014年2月16日 記す)

 音楽については、最初はシンガーソングライターのレナード・コーエンと作業したがしっくりこないのでやめて、最終的にドノヴァンに依頼したと監督は回想している。結果としてこれは成功だったといえよう。

 ユダヤ系カナダ人のコーエンにはイエス・キリストを主題にした曲もあるが、むしろユダヤ神秘主義であるカッバーラー、禅仏教やチベット仏教に傾倒した人なので、曲は作れてもカトリックのゼッフィレッリ監督にしっくりはこなかった、というのもうなづける話だ。

 そもそも低音がウリの歌手だから「青春映画」にはふさわしくないし、フランチェスコの単純さとは異なる精神性を追求している。

 とはいえ、レナード・コーエンは私のもっとも好きな歌手である。いまも彼のCDかけながらこの文章を書いている。

 アッシジのフランチェスコを扱った映画は多数製作されている。イタリア人の映画監督によるものを挙げておく。


 ネオレアリスモの監督ロベルト・ロッセリーニの『神の道化師 フランチェスコ(Francesco, Giulare di Dio)』(1950年、脚本はフェデリコ・フェリーニ)は、ローマでの教皇との会見からアッシジに戻るシーンから始まり、布教のために弟子たちが各地に散っていくシーンで終わる。 

 イタリア人にとってはフランチェスコについて改めて説明する必要がないから、エピソードを集めたオムニバス形式にしたのであろう。

 さらにもう一つ、同じくイタリア人のリリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ(Francesco)』(1989年)であるが、長くなったので、続きは次回としよう。

 (つづく)



<アッシジのフランチェスコ 総目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 


<参考>

『ゼッフィレッリ自伝』(フランコ・ゼッフィレッリ、木村博江訳、創元ライブラリー、1998)





PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。写真を大判にしあらたな写真も挿入した。リンク先も修正を行った。 (2014年2月16日 記す)

PS2 <総目次>を挿入した。(2022年2月20日 記す)


<関連サイト>

St Francis Before the Pope 
・映画 『ブラザーサン シスタームーン』(1972年、フランコ・ゼッフェレッリ監督)のラストに近いシーンで、アッシジのフランチェスコがバチカンでインノケンティウス3世に謁見し「抱き込まれる」シーンに注目! 

brother sun sister moon (YouTube)
・・英国のシンガソングライター、ドノヴァンの歌う主題歌 

Donovan - On This Lovely Day [from Franco Zeffirelli's "Brother Sun, Sister Moon"] (1972)
・・ドノヴァンによる挿入歌


<ブログ内関連記事>

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

レナード・コーエン(Leonard Cohen)の最新アルバム Old Ideas (2012)を聴き、全作品を聴き直しながら『レナード・コーエン伝』を読む

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!
・・アッシジのフランチェスコの精神を現代に活かす

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)
・・現代でも清貧と霊性を求めて修道院での断食が行われる

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・いまもむかしも巨大組織バチカン内部は・・・

600年ぶりのローマ法王退位と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
・・新教皇はフランシスコ一世。「清貧」を旨としたアッシジのフランチェスコの精神を体現することを考えてのことである

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・映画のなかで、サッチャー首相の就任式で「アッシジのフランチェスコの祈り」を朗読するシーンがある。

(2014年2月16日 情報追加)



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2009年5月27日水曜日

行く春や 鳥啼き 魚の目は泪 (芭蕉)


 季節は初夏、すでに春は過ぎ、かつをの美味い季節である。

 そんなとき思い出すのが、芭蕉のこの一句。『奥の細道』の最初から二番目にでてくる俳句である。芭蕉46歳のときの旅だが、現在の年齢でいえばもう60歳を過ぎての旅立ち、と考えていいだろう。

 『奥の細道』冒頭の文章はいまでもソラで暗唱できる。暗唱というのはたいへんよい教育だといえよう。よい日本語の文章のリズムをカラダに沁み込ませることができるから。

 徒然草でも、方丈記でも、平家物語でも、源氏物語も、伊勢物語も、みなもちろんいまでも冒頭の文章は暗唱可能だ。百人一首も高校時代暗記させられたが、いまでは上の句と下の句がただちに結びつかなくなってしまっているのはまことにもって残念だ。正月に歌留多しなくなって久しいから仕方ない、か。

 暗唱は英語でも、それ以外の言語でも同様だ。極端にいえば、トロイを発掘したシュリーマンのように、本をまるごと1冊を暗記してしまうのが、語学上達の秘訣である。『古代への情熱』にその方法で古代ギリシア語含めて数ヶ国語をものにしたことが書かれていたのは、少年時代に読んで強く印象に残っている。とくにロシア語が自分の商売拡大の上で大いに役立ったことが強調されていた。
 
 さて、表題の句がでてくる前振りの文章は以下のとおりだ。

 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明(ありあけ)にて光おさまれる物から、不二(ふじ)の峰幽(かすか)に みえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
 むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云(いふ)所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
 
  行春や鳥啼魚の目は泪
  (ゆくはるや とりなき うをのめはなみだ)


 是を矢立(やたて)の初(はじめ)として、行道(ゆくみち)なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後(うしろ)かげのみゆる迄はと見送なるべし。


(出典)Japanese Text Initiative および 『芭蕉 おくのほそ道』(萩原恭男校注、岩波文庫、1979)   

(付記)Japanese Text Initiative は、バージニア大学図書館エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が行っている共同事業だ、とウェブサイトにある。アメリカの大学が日本文学のデータベース化をすすめているとはねえー、国文学は専門ではないので知らなかったが、驚きだ)


 陰暦3月27日は、太陽暦5月16日だと岩波文庫本の脚注にあるから、ちょうど今ごろの時分である。芭蕉は深川の芭蕉庵から舟で隅田川を約10kmをさかのぼり、千住まできて陸にあがったらしい。そこで詠んだのがこの句だが、意味は素直に読めば難しくない。英訳を示しておこう。

 Spring passes
 and the birds cry out ---
 tears in the eyes of fishes


(出典)Narrow Road to the Interior, translated by Sam Hamill, Shambala Centaur Edition, 1991

 高校時代、面白い解釈をしたヤツがいたのを思い出す。いわく、芭蕉は「魚の目」が痛くて泣いたのである、と。いわれてみれば面白いが、どうなんだろうかねー? たしかに魚の目は痛いが、これは「トンデモ」解釈としかいいようがないだろうなあ。
 
 これも同じく高校時代だが、日本史の授業で聖徳太子が隋の皇帝に親書を送った、という有名な史実を習ったあとの休み時間のことだ。この親書で聖徳太子は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや・・・」と書いているのだが、「つつがなきや、っていうのはツツガムシがいないから痒くないということなんだぜ、えーほんとかよー、なんて会話が交わされたのだが、こちらは必ずしも「トンデモ」でもないようだ。とはいえ、そうではないという主張も優勢ではある。

 まあ、民間語源説というのは話のネタとしては面白いが、信憑性については疑問、というケースが多いものだ。

 同じく文学作品の非常識な解釈もまた面白いことは面白いのだが・・・。書かれた瞬間から作者の手を離れてしまうのは、けっして文学作品だけではない。難しいねー。
       


<ブログ内関連記事>

庄内平野と出羽三山への旅 (10) 松尾芭蕉にとって出羽三山巡礼は 『奥の細道』 の旅の主目的であった

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・『奥の細道』の旅の意味の一つが出羽三山の山伏修行

書評『独学の精神』(前田英樹、ちくま新書、2009)
・・「古人の求めたる所を求める」(芭蕉)ことを通じて「独学」する


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2009年5月25日月曜日

『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(植島啓司、写真・鈴木理策、集英社新書、2009)で、「熊野」と「屋久島」と対比しながら読んでみる



 宗教学者による「熊野考」

 民俗学が人が神を祀る、という観点からの学問だとすれば、宗教学は神の側から人間へのアプローチを考える、と著者はいう。

 その著者からみれば、岩など自然物そのものが御神体となった神社の多い熊野は、まさにうってつけのフィールドといえるだろう。

 本書は、熊野出身の写真家・鈴木理策氏があらたに撮り下ろした写真とあいまって魅力的な熊野入門書になっている。

 熊野の魅力は、著者による以下のような多面的アプローチで解明されていく。

 熊野の神々は記紀神話からはみでてしまう土着の神々であり、産土(うぶすな)神の性格を濃厚にもったものであり、単体の神社というよりも熊野の神々を総称したものである。この上に神道、仏教、修験道が重層的に重なり合い神仏習合としての聖地となった。

 熊野は別名「こもりく」といわれるが、これは籠り(incubation:宗教学的な用法。もともとは親鳥が雛を育てること。ビジネスの世界では起業の孵化器の意味)と託宣の場であり、岩盤性の切り立った海に面した絶壁は、古代ギリシアのデルフォイに比すことのできるもの。

 火山性の固い岩盤と鉱物資源、豊富な温泉は、死と再生の場でもあり、厳しい自然環境の上に、豊富に降り注ぐ雨が作った豊かな森は、籠りの場として、むしろ母性的な意味合いをもつ。つまり、すべてを受け入れ、そしてあらたに何かが生み出される場所なのだ。


 近年パワースポットという表現がポピュラーになっているが、現代でも日本人は森を前にすると、森の中に入るとなぜか生き返ったように感じる。

 日本国内で熊野に匹敵しうるのは、同じような自然条件にある屋久島くらいだろう。さまざまな神話や物語が堆積している意味で、熊野は屋久島以上に魅力的といえるかもしれない。

 実際、私自身、熊野はすでに1995年と2003年の二回にわたって旅してしており、大雨という自然条件に泣かされたこともあっても、そのことも含めて私は強い印象が思い出となって記憶に刻み込まれている。

 屋久島も同様に、予期せぬ大雪で観光客のまばらな2005年2月に、登山靴にアイゼンつけて雪山を歩き、縄文杉をみにいってきた。屋久島でも熊野と同様、温泉で癒された。

 熊野、屋久島ともに再訪したいと心から念願している。


 日本人にとっての信仰の原点、聖域がこの森であり、とくに海と山が出会う場所である熊野は、きわめつきの魅力をもつのである。熊野は、世界遺産に登録されたことにより、日本人自身が原点に立ち戻るきっかけになることが望まれる。

 著者もいうように、近代日本を襲った数々の宗教弾圧・・・明治維新の際の神仏分離(=廃仏毀釈)、明治末期からの神社合祀令、敗戦後の占領軍による神道指令・・・でズタズタにされた日本人本来の信仰の回復のために。

 本書は導入に折口信夫の「産霊(むすび)の信仰」を使っているが、那智山中に3年間滞在した南方熊楠に一言も触れていない折口信夫には釈超空の名で「海やまのあひだ」という歌集があるので、よりふさわしい人選ではある。

 いかなる理由かは知らないが、南方熊楠抜きの熊野、というのも熊野に対する一つの態度ではある。

 私としては、この両巨人をぶつけてほしかったのだが。



<読書案内> 

植島啓司、鈴木理策=写真、『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』、集英社新書ヴィジュアル版、2009



青山潤三、『屋久島-樹と水と岩の島を歩く-』、岩波ジュニア新書カラー版、2008



PS タイトルを一部変更し、読みやすくするために改行を増やした。またあらたに<ブログ内関連記事>の項目を加えた。 (2014年4月12日)


<ブログ内関連記事>

書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)-キーワードで読み込む、<学者・折口信夫=歌人・釋迢空>のあらたな全体像

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

(2014年4月12日 項目新設)


 
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